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本書は、朝日新聞ウェブ版の「ブック・アサヒ・コム」に掲載されたものを再構成したものになります。ジャンル分けするといわゆる書評やブックガイドに相当するのですが、実は、本を深く読むためのケーススタディー本という位置づけが、一番しっくりくると思います。
また、本書の特徴の一つは、本のセレクトの多様性です。学術書と言われるような硬い本から、半沢直樹シリーズのようなエンタメ小説、あるいは、テルマエロマエのようなマンガまでが扱われています。また、出版年に関しても広がりがあって、2000年以降に出版された本が多いのですが、1970年代に出版された本も2冊含まれています。ジャンルに関しては、社会科学や歴史、経済系の本が多くを占めますが、第5章では科学分野の本についても書かれています。ただ、この第5章「科学の迷宮」の内容は、他の章に比べると<問い>が浅く、本の内容をなぞっているだけのように感じたのは少し残念でした。(それでも、十分読む価値はあるのですが・・・。)しかし、やはり大澤さんの本領が発揮されるのは、社会系の本に関してです。本書からも多くの洞察を得ることができるのですが、それよりも本書で学ぶ読書術を身につけることによって、今後の読書がより実りあるものになるのではないかと思います。
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書評集。
ジャンルは多岐にわたるが、どの本に対しても「なるほど」と思わせる考察になっている。
一番良かったのはサンデルの著作のエピソードから、原発を受け入れる器量は日本にないことを述べてるところだな。そうだなと100%納得した。
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本を読むことを通じて、世界への問いが開かられ、思考が触発あsれる。
良い本は問いを与えてくれる。
本を深く読む必要がある。
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さすがは大澤さん、圧倒的な知識と思考。こういう堅い本はあまり読まないので、読み始めてすぐに「これはいつも読んでいるような本とはちがうな」と思った。
読書は楽しみとしてだけではない、自分に刺激を与えてくれ、思考に深みをもたらしてくれるものである、という。
それはそうやねんけどさぁ、本を読むたびに問いを立てて読むっていうのは、なかなか骨の折れる作業ですよ。
大澤さんの本を、ほかにも読みたくなった。
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いや頭いい人は考えることが違う。
たぶん学問的にはぶっとんだものもあるんだろうけど、読んだ本を媒介にして自身の思索を深める姿勢には脱帽。
特に科学本の紹介は熱が入っていて、読みたいと思わされた。
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さすがというべきか、著者の専門の社会学にとどまらず、科学、経済学から小説などのフィクションまで、幅広いジャンルの本を読みこなしている。
本を読み込んで、主要な論点を要領よく紹介し、それぞれの面白さが紹介されていく。
たしかに、そういう点で、すごい本だと思う。
読むことを通して「問い」を掘り当てていくことが読書の要諦だ、ということのようだ。
で、実はこの本の帯には、「仮説を立てて頭を鍛える」とか、「本質をつかむコツは「補助線」の引き方」などと書いてある。
こうした「問い」を読みだしていく技を知りたいのだけれど…
残念ながら、本書によれば「問い」は来訪するものらしい。
さらに言えば、ここでいう「問い」というのは、元の本の著者の問題意識を読み解くことなのか、読者である大澤さん自身の疑問なのか…。
それがどうもよくわからなかった。
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書評集だったので、興味のある部分のみ(第3章 現代社会と人間関係、第4章 格差社会時代の希望、第6章 愛と暴力のはざま、第7章 本質を問うダイナミズム)摘み読みするつもりで読み始めたのだが、意外におもしろくなってしまい、全編読むことにした。
WEB連載時にリアルタイムで読んだものもあったが、やはり、まとまったものを紙ベースで読むと読書感(趣き)が違う。
画面で文章を読むと、何か(なぜか)読むのをせかされているような気がして、ついつい字面を追うだけになってしまい、書評などの長文は十分に理解できないことが多い。
そのため、長文の場合はわざわざプリントアウトして紙ベースで読むのだが、これまた、何か、会社の文書か、レジメののような気になってしまい、落ち着いて読むことができない。
新聞ならば、ペラの紙でも気にならずに読めるのだが。
文章が落ち着くべき形(本)になっていないことが、心のどこかに違和感を感じさせるのだろうか。
ともあれ、他の章もすべて読んでみたのだが、経済学(第1章)、数学、物理などの理数系の書評(第5章)は、あまり興味のある分野ではなかったせいか、いまひとつ理解、共感が沸かなかった。残念。
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請求記号 S019.9-アサ-477(新書)
資料番号 300411600
新潟医療福祉大学図書館 蔵書検索(OPAC)
https://library.nuhw.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=1000073218&opkey=B158831618429673&start=1&totalnum=1&listnum=0&place=&list_disp=50&list_sort=0&cmode=0&chk_st=0&check=0
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さらっと読み。全部で25冊の本を章立てで紹介。この本読んでるとどんどん読みたくなる。対象は新書や文庫が多いので手軽に手に入るし、なかなか親切な本だと思う。何冊かピックアップして読書リストに入れたところ。
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「読書術」というタイトルに反して、本書は読書のメソッドを書いた本ではない。《本を深く読むとは〔…〕読むことを通じて、あるいは読むことにおいて、世界への〈問い〉が開かれ、思考が触発される、ということ》との考えにもとづき、それを著者が愚直に実践しようとした本である。つまり、身も蓋もない言い方をしてしまえば、「読書術」ではなくただの「書評集」なのだが、どの書評も一様に質が高い。
なかでも、個人的には、半沢直樹を題材に「不可能性の時代の理想」を考察した第3章「「半沢直樹」はなぜカッコいいのか」は白眉。諸々の公共的正義や私的な願望が調停不能なかたちで乱立する現在において、それらすべてを満たそうとする「半沢直樹」という理想像を《解が存在しない連立方程式のようなもの》と著者は要約する。ただし、ここから《現代の日本社会において、現実の秩序化の中心には「不可能性」がある》とするのは、少々拙速にすぎはしないだろうか。前半部で「倍返し」が喝采を浴びた背景を丁寧に分析しておきながら、それが後半部の「不可能性の時代の理想像」の議論に上手く結びついていない。この間の論理を補完するにせよ、両者の矛盾から「不可能性の時代」を批判するのも、個々の読者に委ねられた状態になっている。著者も書いているとおり《よい本は、解答ではなく、〈問い〉を与えてくれる》。本書も間違いなく、刺激的な「よい本」である。
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ジャンルを問わずに筆者が選んだ25冊の書籍のレビューとそこから得ることができる「問い」を解説した本。「答え」ではなく良質の「問い」を与えてくれる本が良書であるというスタンスで書かれている。
経済や科学、世界史など、自分では絶対に手に取らない本が紹介され、そして気が付いたらその世界に惹き込まれてしまっている。25冊の内、ほぼ全ての本を読んでみたくなった。多くの書籍紹介本は、その本の世界へと続く扉が数多く用意され、その扉に本のタイトルと大まかな内容が書かれているだけのイメージだ。しかし本書は、扉を開けて中へ入れてくれ、読むことでしか味わうことのできないことをその一端だけだが体感させてくれる。それはおそらくその本を読んで筆者が感じたことが詳しく綴られているからだろう。
小説は主人公に自分を重ね合わせて追体験させてくれるが、本書は紹介される本の読者としての筆者に自分を重ね合わせ、読書の追体験をさせてくれる。読書による読書の追体験。それぞれの知らなかった世界をもっと覗いてみたくなる。
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「読書量は気にするな。本を深く読む必要がある。そのことにより世界への<問い>が開かれ、思考が触発される。」という著者のスタンスによる書評集。よって読書術そのものが書いてあるわけではないので、書評内容から著者の読書術を理解する必要がある(そのための「読書術」が必要なのでは?という無限後退が起きそうだが)。紹介されている本は多岐なジャンルにわたるが、所謂古典とよばれるものはなく、名著と呼ばれるものが数冊、7割は21世紀以降と全体的には軽めの本が多く、選書は微妙な印象。正直読んでみたいと思える本があまりなかった。
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問うこと、探求することは読書のダイナミズムです。何冊か読んだ本もあるが、書評を読んで改めて、新たな視点を提供された。
本質を捉えようとすること。読書で問探し。
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問いとそれに対する考察が本書の骨格である。なぜ?と問い続けることはめんどくさいし、間違ってるかもしれない。しかし、なるほどと思わせる論を提示することが大事であり、回答の正否は些末なことに過ぎないなと思った。
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思考を促す本25冊を選んで、その論点を紹介するにとどまらず、さらなる考察を進めていくような内容。書評をするには本の内容を簡単に紹介することになるが、それがかみ砕く形でまとめる結果になっており、入口に導いてくれる。特に、市場主義経済、マルクス経済学、宇宙論、網野史学といった、とっつきにくかったテーマがわかりやすかった。
全くタイトル負けしていないのが唸らせる。恐れ入りましたという読後感。
経済学にはさまざまな流派があったが、やがてシカゴ学派が一人勝ちして、市場主義の政策が進められていった。市場主義経済学では、失業や景気変動、バブルは発生しないとの帰結が導かれるが、実際にはどれも起きている。ケインズのマクロ経済学では、市場主義経済学では説明できない貨幣の流通を洞察している。市場主義経済を見直すには、グローバル経済のレベルを落として、各国の社会構造、文化、経済システムの多様性に配慮した政策を採用できる余地を増やし、成長主義から脱却する必要がある(「経済学の犯罪」佐伯啓思)
商品が売れないということは、人々がお金への強い欲望を持っていることだが、新古典派経済学では貨幣への欲望が存在しない社会を前提としている。財政政策は有効需要を増やさない。金融緩和をしても物価・GDPは上がらない。外需をあてにしても景気は良くならない。産業保護政策は雇用維持に常に逆効果(「成熟社会の経済学」小野善康)。
真核細胞は、タンパク質をつくるのに必要な物質が不足しているとき、2つの細胞が合体して2nのディプロイド細胞になることがある。ディプロイド細胞は協調性が高く、多細胞生物になることができるが、細胞分裂に限界がある。生殖細胞は、ディプロイド細胞が減数分裂して分裂能力を回復したもの(1nのハプロイド細胞)。有性生殖は死を回避するために生み出された(「性と進化の秘密 思考する細胞たち」団まりな)。
物々交換は互酬的な贈与(持続的な束縛関係)になる可能性がある。贈与関係のネットワークから切り離された場所として、共同体が外部と接する場所に市場が置かれた。ヤマト政権が整えた律令制によって土地を課税の基礎とする体制ができ、農本主義が定着したが、日本社会は交易や商業を行う重商主義とのせめぎあいを続けることになった。14世紀の南北朝動乱を経て、信長、秀吉、家康へと向かう中で、農本主義が優位を占めて商業のネットワークは抑圧されることになった(「日本の歴史をよみなおす」網野善彦)。