20世紀経済史　ユートピアへの緩慢な歩み　上

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日本語版序文　　長い二〇世紀で度肝を抜かれる日本という物語
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　B・デロング
序論　　大きな物語
第１章　グローバル化する世界
第２章　技術主導の成長の加速
第３章　グローバルノースの民主化
第４章　世界帝国
第５章　第一次世界大戦
第６章　狂騒の二〇年代
第７章　大恐慌
第８章　実際の社会主義

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2025/4/12
　過去に例のない物質的富の爆発的増加からすべてが始まった。長い二〇世紀には、上位中流階級に属す人々や世界経済の産業の中枢にいる人々が一段と裕福になった。かつてユートピア社会主義者が夢見た以上にゆたかになったのである。富の驚異的な増加は、次の五つの重要な現象やプロセスを引き起こした。この五つは、そのまま本書のテーマを構成する。
1 歴史の主役が経済になった: 富の大幅な増大の結果、長い二〇世紀は歴史上初めて経済を中心に回り始めることになる。さまざまな出来事や変化が展開される表舞台が経済になり、経済的な変化が他の変化を背後で牽引した。これは、かつてなかったことである。
2 グローバル化が進行した: 他の大陸で起きたことが緊急度の低い対岸の火事ではなくなり、遠いどこかで起きたことが決定的な重要性を持つようになった。
3 豊富な技術が原動力となった:物質的富の増大を可能にした、というよりもその大前提となったのは、人間の技術知識の飛躍的な進歩だった。技術知識の修得には文化、科学者や技術者を育てる教育制度、通信手段、過去の発見を参照する記憶装置の拡充が欠かせない。それだけでなく、科学者や技術者にリソースが提供され研究が成果を上げられるように市場経済が機能することも重要になる。
4 政府は市場の管理に失敗し、不安定と不満足を招いた: 長い二〇世紀における各国政府は、自己規制のできない市場をどう規制すれば、繁栄を維持し機会を創出し平等を実現できるか理解していなかった。
5 独裁政治が増殖した: 長い二〇世紀の独裁政治は過去のどの時代よりも残虐で野蛮だった。しかも富の爆発的な増大をもたらした力と奇妙かつ複雑で混乱した形で結びついていた。


…一八七○年を境に変わったのは、当時先頭を歩んでいた北大西洋諸国が発明を生かしくみを発明したことである。彼らは単に自動織機や鉄道を発明しただけでなく、産業研究所と近代的な企業を発明し、それが大規模な企業の出現につながる。その後は、産業研究所で発明されたものが国家規模さらには大陸規模で活用されるようになった。おそらく何より重要なのは、古いものを改良する発明にとどまらずまったく新しいものを発明すれば、途方もない利益が上がり多くのニーズを満足させられるとこれらの国々が気づいたことだろう。
　そう、単発的な発明ではなかった。組織的な発明の方法が発明されたのである。大規模な企業が単発的に出現したのではなかった。近代的な組織化の方法が発明された。この二つは、近代的企業における中央集権的指揮統制機能の出現にとって欠かせない要素だったと言えよう。一八七〇~一九一四年の期間には、どの年をとっても初代の産業研究所群からより新しくより優れた工業技術が誕生し、それが実用化された。ときには既存の製造事業者に売り渡されることもあったが、それよりも一つひとつの技術が大きな企業組織の創設や拡大につながることのほうが多かった。


　最大の要因は、アメリカにはチャンスのシステムがあったことだろう。だから、フーバー、 テスラ、ウェスティングハウス、エジソン、匿名教授、ホームステッド製鉄所の労働者た���は希望と野心を抱くことができた。もっとも、「システム」というのは何か先見性をもって設計された装置のようで気が引ける。二〇世紀になって先ほど挙げたようなゆたかなリソースの集合体が大量生産の可能性に結びついたのは、意図的で計画的な産業振興プロセスのおかげではなく、むしろ近視眼的な選択の積み重ねだった。それが技術の正の外部性をもたらした。発明を生むしくみを発明したことが、さらに多くの発明を生み出したのだと言える。
　そこにさらに、アメリカの富をもたらした二つの要素を付け加えることができる。教育と平和である。ただしそのどちらも先住民族には与えられなかったことは指摘しておかねばならない。ファースト・ネーションと呼ばれる北米先住民族は、陸路でアメリカにやってきた初代移民の子孫である(これに対して後代の移民はご存じのとおり船でやってきた)。先住民族は白人から提供された毛布を介して伝染病をうつされた挙句、居留地に押し込められた。また黒人は白人社会の恐怖政治によって抑圧された。


　断れなかったのは、受け入れた場合に期待できる見返りがきわめて大きかったからかもしれない。あるいは、受け入れなかった場合に予想される結果があまりにおぞましかったからかもしれない。二〇世紀に強い影響力を持った経済学者ジョーン・ロビンソンは、よく次のように語ったものである。資本主義者に搾取されることよりさらに悪いのは搾取されないこと、彼らに無視され生産と交換の回路の外に置かれることだ、と。
　では帝国からの申し入れを拒絶したときに、その結果を引き受けるのは誰なのだろうか。その国を支配するエリート層なのか、市民なのか、それとも彼らの子孫なのか。ハイエクにつくか、ポラニーにつくかによって意見は分かれるだろう。つまり市場は与える、市場の御名に祝福あれ(そして市場だけでなく帝国主義にもいくらかは祝福を)と考える人と、市場は奪う、人々からパン、住処、尊厳を奪った人間に呪いを、と考える人である。


　こうして国際的な経済ゲームのルールに従ってプレーするようになると、さきほど挙げた非公式の支配形態が相応の結果をもたらすことになる。
　まず、グローバル化と自由貿易は、蒸気機関で動く機械類によって競争優位を確立すると同時に、手工芸はどれほど労賃が安かろうと太刀打ちできなくなるという一面を持つ。そしてごくわずかな例外を除き、蒸気機関で動く機械というものはグローバルノースでしかうまく動かない。だから、グローバルノースの工業先進国以外では製造業は衰退する。周縁国の労働者は農業か他の一次産業に鞍替えするほかない。その結果として、周縁国は経済開発がいつまで経っても進まない。魅力的な交易条件で目先の利益は得られても、工学的ノウハウを運用できる技術者集団を育てることはできなかった。そうした集団を自国に持つことが富裕な工業国に発展を遂げる一つの道筋だったと考えられる。
　次に、蒸気機関で動く機械が利益を上げられるだけの高い信頼性で安定して稼働できるのは、 グローバルノースに限られていた。「高い信頼性」と「利益を上げる」ためには三つのものが必要だ。技術者集団、字が読めて工業技術を教え込める労働者、保守・修理点検に必要な資金力である。


　よって、長い二〇世紀の歴史においても、二つの対立する考え方が主役を競っている。一つはフリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクに代表される考え方だ――市場は与え、そして奪う。市場の御名に祝福あれ。もう一つはカール・ポラニーに代表される考え方だ――市場は人間のために作られたのであって、人間が市場のために作られたのではない。経済学とその革命的変革の繰り返しによって特徴づけられる長い二〇世紀において、すべての物語の他の主人公のほぼ全員が、この二つの考え方のどちらか、あるいは両方に深く影響されていた。