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本書は、ノーベル経済学賞を受賞した「ファストアンドスロー」の著者であるダニエルカーネマン等が
ヒューマンエラーである「ノイズ」について考察した本です。
多角的に研究された内容が多数紹介されており、この本を読めるというのは「めちゃくちゃ、お得だー❕」と思いました。
医者や裁判官の判断でさえ、ノイズがあるとは、、、
ぜひぜひ読んでみてください。
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普段、仕事をしていて、同じ部署の人間なのに人によって判断が違うことが少なからずある。
そのため、自分自身の判断を疑う事もあったが、本書を読み、判断が違う事はそもそもそもよくある事だとの思いに至る。
ノイズという概念を意識する事で、人と判断が違ってもそれはある意味当たり前の事であり、必要以上に自分自身を疑う必要はないように感じた。
ただ、組織運営上、ノイズの減少はコスト減少やパフォーマンス向上などにつながるため、下巻でその方法を理解したいと思う。
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以前に「ファスト&スロー」を読んだので、認知・判断にノイズやバイアスが発生するメカニズムは理解していて、新たに得るものは多くないと感じた。
また、タイトルに「組織はなぜ判断を誤るのか?」とあるので、企業の組織運営的な内容に期待したが、ちょっと違っていた。医療や裁判などで括られた”集団”を組織としている感じがする。
ファスト&スローと同様に「人間の判断なんて不確かだ」の研究結果やインタビュー(公式、非公式)の内容を織り交ぜて説明されているので理解しやすい。
特に、自分が正しいと思っていることを肯定する情報は正しく、矛盾している情報は無視する行動はあるあるだなと思った。
また、各章が短いので隙間時間で読書が進められるのはうれしい。
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アイザック・アシモフさんが書いた銀河帝国興亡史ハリ・セルダンの説く心理歴史学は、この本を読む限り、究極の行動経済学なんだなあとつくづく思います。
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バイアスとならんで判断に影響を与えるノイズ。
双方とも同じくらいレベルのようです。
それらをうまく使えば、判断に変えることができそうです。
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人の判断には「バイアス」や「ノイズ」がつきまとうものであり、それらが判断のエラーを引き起こす。
『ファスト&スロー─あなたの意思はどのように決まるか?』ではバイアス(系統的な偏り)に重きが置かれていた。一方で、今作では「ノイズ」(ランダムなばらつき)についてリソースが割かれている。
双方を読み両者の違いが理解できた人は、判断エラーの予防にはバイアスを減らすのみでは不十分だとわかるだろう。
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■組織はなぜ判断を誤るか。それは、バイアスとノイズがあるから。では、バイアスとは何か、ノイズとは何か。特に、ノイズに注目して論説しているのがこの本のテーマである。
■バイアスとノイズという考え方が新鮮だが、きちんと理解するのに時間がかかる。何回も読み返す。
■和訳に違和感はない。
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12728413113.html
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行動経済学という学問をまさしく一般に普及させた立役者の一人といえば、『ファスト&スロー』等の著作で知られるダニエル・カーネマンであろう。彼が、ナッジ理論の理論的中枢もであるキャス・R・サンスティーンらと記した新作にあたり、行動経済学の新たな世界が開けた、といっても過言ではない面白さに満ち溢れている(私はこの本をコロナワクチン3回目接種の副反応で寝込んだベッドの中で読み通してしまった。そのくらい面白い)。
行動経済学の定義は幾つかあると思うが、オーソドックスな定義の一つは”人間の不合理な行動やエラーというのはなぜ起きるのかを解き明かす学問”であるというものではないか。その際によく言及されるのが”バイアス”と呼ばれる人間のものの見方の偏りである。
しかし、不合理な行動やエラーを起こす要因としてもう一つ大きなものがある。それが本書のテーマ、”ノイズ”である。本書は行動経済学の中で”バイアス”ばかりが語られている点を是正すべく、いかに”ノイズ”が我々のエラーを巻き起こしているのか、そしてその対処法までを明らかにする。
ここでいう”ノイズ”とはいわゆる分散の概念である。
例えばダーツに的を投げたときに、
・投げたダーツが一定のエリアに集中している⇒”バイアス”
・投げたダーツがバラバラに散っている⇒”ノイズ”
ということになる。
合理的な意思決定をしているようで実は”ノイズ”によって人間の意思決定がてんでばらばらであるということを明らかにする事例として、同一人物による病気の診断や保険金の支払査定などのバラつきのデータを見ると、これが恐ろしいほどの分散を見せる。その分散はあまりにもひどいため、過去に自身が判断したデータを用いて簡単な機械学習モデルを作ると、遥かに機械学習モデルの方が高い精度を出せるという。
”ノイズ”の要因は色々あるが、大きいのはそのときの人間のストレス、気分などである。疲れを知らず感情に惑わされることがない機械学習モデルが高い精度を出すのも、むべなるかな、というところであろう。
さて、そうした”ノイズ”の実態、それがどれだけのエラーを巻き起こし、結果として社会にどれだけの余剰コストを生み出しているかを考えると、この対処策が重要になってくる。本書では簡単なテスト形式で、具体的に組織の”ノイズ”を減らすための処方箋も示されている。
”バイアス”が行動経済学のキーワードとなったように、ワーディング自体は全く珍しくもなんともないものの正しくその弊害が認識されていない”ノイズ”をいかに扱うか、これは行動経済学の実践としてより良い社会・組織を作っていく上で、必須のものになっていくのではないか、という強い期待すら感じた。
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ノイズ(Noise)とは、原因不明な異音、転用して、判断に含まれている説明のつかない誤り
628頁、29章にも及ぶ大作、統計学、心理学、行動経済学にまたがる
理解困難な難書でした。見慣れない用語が、複数の章にまたがって、現れるので
その確認を含めて、一読に1週間以上も時間がかかってしまいました。
冒頭には、本書をまたがる、大きな地図があり、また、各部の冒頭、各章の終わりにはまとめがあって理解を助けてくれます。
刑罰への量刑とか、病気への診断とか、人事評価とか、似たような状況なのに、人間によって、その判断が大きくことなっていて、理解不能な不平等がこの世に広がっている。その差は人々が考えている以上に大きく深い。
その原因は、何か。また、その不平等を改善するために、判断の質を上げるためにはどうすればいいのか が本書の目的です。
その判断を誤らせるものは、バイアスとノイズの2つがあると説きます。
バイアス 偏見 偏りがある
ノイズ 説明のつかないランダムなばらつき
上巻の範囲は以下
第1部 ノイズとバイアスとの違い、
第2部 人間の判断というのはどういうものかの分析
第3部 予測的判断の分析
第4部 人間心理に立ち戻り、ノイズが生じる根本原因の検討(途中まで)
上巻にて気になったことばは次です。
・世界は複雑で不確実であり、判断は難しい
・不一致の度合いは一般に予想されるよりははるかに大きい
・「もしこうだったら」「もしこうでなかったら」と事実と異なる仮定を立ててみれば、きっとそこにはノイズが見つかるはずだ。
・判断とは、「人間の知性がものさしとなるような計測」と定義することができる。
・判断には、「予測的判断」と「評価的判断」がある。
・バイアス、各ノイズの各量は、標準偏差で分布すると仮定し、平均二乗誤差(MSE)で計量化しています。
・ノイズは、システムノイズ(レベルノイズ、パターンノイズ)、機会ノイズ、
システムノイズ 誤った判断からバイアスを差し引いて残るもの
レベルノイズ 各人の平均的な判断のばらつき、レベルエラーのばらつき
パターンノイズ システムノイズからレベルノイズを差し引いて残るノイズ
機会ノイズ 1回目の判断と2回目以降の判断が異なるというノイズ
・カスケード効果 順番に前の人の選択情報を参照しながら判断する場合に、自分自身のもつ情報に基づかず、多数派の選択肢を選ぶ傾向。
・置き換え 2つの事実の順番を変えることによって、判断がことなってしまうこと
目次は以下です。(上下巻 通し)
上巻
序章 二種類のエラー
第1部 ノイズをさがせ
第1章 犯罪と刑罰
第2章 システムノイズ
第3章 一回限りの判断
第2部 ノイズを測るものさしは?
第4章 判断を要する問題
第5章 エラーの計測
第6章 ノイズの分析
第7章 機会ノイズ
第8章 集団によるノイズの増幅
第3部 予測的判断のノイズ
第9章 人間の判断とモデル
第10章 ルールとノイズ
第11章 客観的無知
第12章 正常の谷
第4部 ノイズはなぜ起きるのか
第13章 ヒューリスティクス、バイアス、ノイズ
第14章 レベル合わせ
第15章 尺度
下巻
第16章 パターン
第17章 ノイズの原因
第5部 よりよい判断のために
第18章 よい判断はよい人材から
第19章 バイアスの排除と判断ハイジーン
第20章 科学捜査における情報管理
第21章 予測の選別と統合
第22章 診断ガイドライン
第23章 人事評価の尺度
第24章 採用面接の構造化
第25章 媒体評価プロトコル
第6部 ノイズの最適水準
第26章 ノイズ削減のコスト
第27章 尊厳
第28章 ルール、それとも規範?
まとめと結論 ノイズを真剣に受け止める
終章 ノイズの少ない世界へ
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とても面白いです。
人間の判断の雑さについて気にしていた時期なので、人間の弱さがよくよく理解できました。
自分もシステム2や外部の視点をしっかり意識して使っていきたい。
下巻も読みます。
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人の判断には様々なノイズが入り込んでいる。経験や直感から下した判断より、機械的に平均を求めた判断の方が正しい。自分の勘を頼りにすることもあるが、冷静に数字や事実を分析する必要があると感じる。
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第1章 犯罪と刑罰
量刑のノイズについて話そう
「調査によると、同じ犯罪に対して刑の厳しさに大幅なちがいがあるらしい。これは不公平だ。どの判事が担当するかで量刑がちがうのはどう考えてもおかしい」
「重さが裁判官の機嫌だとか、その日が暑いとか寒いといったことに左右されるべきではない」
「量刑ガイドラインはこの問題に対処する方法の一つだ。だがガイドラインを嫌う人も多い。適切な判断を下すにはある程度の量の余地が必要なのに、それを狭めてしまうからだという。たしかに、どのケースもそれぞれにちがうとは言えるかもしれない」
第2章 システムノイズ
保険会社のノイズについて話そう
「保険会社では、プロフェッショナルが下す判断の質が非常に重要だ。私たちは、誰が担当しても判断はほぼ同じだと考えていたが、この前提はまちがっていたようだ」
「システムノイズは予想より五倍も多かった。つまり、容認できる水準の五倍もあった。ノイズ検査を行わなかったら気づかないままだっただろう。ノイズ検査のおかげで、一致の錯覚は打ち砕かれた」
「システムノイズは由々しき問題だ。損失は数億ドルに上るだろう」
「判断のあるところノイズあり。それも、思った以上に多く」
第3章 一回限りの判断
一回限りの判断について話そう
「これはたしかにめったにない出来事ではあるが、いまのアプローチだとノイズが多くなりそうだ」
「一回限りの判断も、繰り返し行う判断がたまたま一回だけだったケースにすぎない。このことを忘れないように」
「あなたが判断のよりどころにしている過去の経験は、今回の判断と関係があるのだろうか」
第4章 判断を要する問題
プロフェッショナルの判断について話そう
「これは判断を要する問題だ。となれば、みんなが完全に一致することは期待できない」
「たしかにそうだ。それにしてもいくつかの判断はあまりにかけ離れているから、まちがっているにちがいない」
「あなたの候補者選びのやり方は単に好みを表しているだけで、まじめに判断したとは思えない」
「決断を下すには、予測的判断と評価的判断の両方が必要だ」
第5章 誤差方程式について話そう
誤差方程式について話そう
「バイアスを減らしても、それと同じだけノイズを減らしても、正確性におよぼす効果は同じらしい」
「予測的判断のノイズを減らすのはとても効果的だ。このとき、バイアスが多いか少ないかは関係ない」
「真の値を上回る予測と下回る予測の比は八四一六だったから、バイアスはかなり多い。それでも正規分布であれば、バイアスと同じだけノイズが存在することになる」
「どんな意思決定にも予測的判断が関わってくる。予測的判断においては、正確性が唯一の目標であるべきだ。だからあなた個人の価値観は、事実から切り離しておくように」
第6章 ノイズの分析
・レベルノイズは、判断者ごとの判断の平均的なレベルのばらつきである(たとえば厳しめの裁判官と甘めの裁判官)。
・パターンノイズは、特定のケースにおける判断者の反応のば���つきである(再犯者に厳しい、共犯者に甘い、など)。
量刑調査では、レベルノイズとパターンノイズはおおむね等しいことがわかった。だがバターシノイズには一過性の原因による機会ノイズが含まれている可能性が高く、機会ノイズは偶発的ランダムエラーとして扱う必要がある。
ノイズ分析について話そう
「裁判官によって厳しさのレベルにちがいがあるときは、レベルノイズが存在する。ある特定の 被告を厳罰に処すか寛大な措置にするかで裁判官の意見が一致しないときには、パターンノイズ が存在する。パターンノイズの一部は機会ノイズだ。つまり、同じ裁判官が別の機会には別の判断を下す。」
「完璧な世界では、被告は正義の裁きを受けられる。だが、現実には、ノイズの多いシステムに翻弄されるのだ」
第7章 機会ノイズ
ヘルツォークとヘルトヴィヒによる意思決定者へのアドバイスをかんたんにまとめると、次のようになる。独立した第三者に意見を求められるなら、そうするほうがよい。これはまさに「群衆の知恵」であり、判断精度を向上できる可能性が高い。だがそれができない場合には、自分の中に群衆を作って、同じ質問をもう一度自分にしてみることだ。
機会ノイズについて話そう
「判断はフリースローのようなものだ。どんなにがんばっても、同じ動作を正確に二回繰り返すことはできない」
「あなたの判断は気分に左右されている。気分だけでなく、直前にどんな話をしたかとか、今日 の天気とか、そういうことにも。人間はいつも同じ人間ではないと考えなければならない」
「君は先週の君と同じではないかもしれないが、ありがたいことに、今日の他人よりは先週の君 に近い。つまり機会ノイズは、システムノイズの最大の要因ではないということだ」
第8章 集団によるノイズの増幅
個人の判断に入り込むノイズだけでも由々しき問題だが、これが集団になると一段と問題は大きくなる。とかく集団というものは、本来は無関係のさまざまな要素に左右され、とんでもない方向に迷走しがちだ。 誰が最初に発言したか、誰が最後か、誰が自信たっぷりに話したか、誰が黒を着ていたか、誰が誰の隣に座ったか、絶妙な瞬間に笑ったのは、眉をひそめたのは、頷いたのは、首を振ったのは誰か、といったことが結果を大きく左右する。組織では、さまざまな決定が集団で下されているはずだ。採用、昇進、支店の閉鎖、広報戦略、大学入試、 新製品の発売時 環境規制への対応、さらには国家安全保障にいたるまで、一人で決断するということはまずあるまい。
…メイシーらが指摘するように、「最初に動いたごく少数の人がたまたまどちらに転ぶか」が、その後の形勢を決してしまうほどの影響力を持つ。
…集団極性化とは、集団で話し合うと、個々人の当初の考えよりも集団の意思が極端な方向に振れやすいことだった。
集団での意思決定について話そう
「どうやら、最初に人気が出るかどうかですべてが決してしまうらしい。新製品が発売第一週で話題になるよう、戦略を練るべきだ」
「いつも思うのだが、政治家の発言も経済学者の提案も映画スターとたいして変わらないのでは ないだろうか。誰かが好きだとわ��ると、みんなが好きになるという点で」
「チームが集まるといつも意見が一致して自信満々になり、ものすごい勢いで突き進む。これが どうも不安で仕方がない。意思決定プロセスのどこかにまちがいがあると思えてならない」
第9章 人間の判断とモデル
「人間は判断を下すときに、複雑で微妙なルールを見つけたと考えがちだが、複雑で微妙な斟酌はだいたいにおいて単に時間の無駄だ。そのようなものが単純なモデルの精度を上回ることはまずない」
「ポール・ミールの著書が発表されてから六〇年以上が経つが、機械的な予測のほうが人間より上だと聞くといまだにショックを受ける」
「要するに、人間の判断にはノイズが多すぎる。だから、ある人の判断から生成した近似的なモデルのほうが本人に勝つことになる」
第10章 ルールとノイズ
ルールとアルゴリズムについて話そう
「大量のデータが存在する場合には、機械学習アルゴリズムのほうが人間や単純なモデルより精 度の高い予測ができる。ごく単純なルールや式ですら、人間の判断を上回るという。これは、ノ イズがないことに加え、複雑で微妙な匙加減などしないからだ。そういうものはだいたいにおいて予測の役に立たない」
「結果についてのデータが何もない状況では、均等に重み付けしたモデルを使うのがよい。最適の重み付けをしたモデルとほとんど同等の予測精度が期待できる。それにとにかく、人間の場当たり的な判断よりはるかにましだ」
「君はモデルの予測を信用していないようだ。何か折れた足のような決定的な情報を持っているのか、それとも単に機械的な予測が嫌いなのか?」
「もちろんアルゴリズムも誤りは犯す。だが人間のほうがずっと誤りは多い。それでも人間を信用するのはなぜか?」
第11章 客観的無知
答えは、こうだ。人材の採用といった重要な事柄では、信頼性がすこし上がるだけでも大きな価値がある。そもそもエグゼクティブたちは、わずかばかり利益率を上げるために日々改善や改革の努力をしているではないか。もちろん、成功が保証されてはいないことを彼らはよく知っているはずだ。それでも成功の確率を高めると考えられる決定を下す。エグゼクティブたちは、確のこともよく承知している。当たる確率が五九%のくじと六五%のくじが同じ値段で売っていたら、前者を買う人はいないだろう。
問題は、エグゼクティブたちにとって値段が同じではないことだ。五九%のくじ、つまり直感に頼る場合には、ご褒美がある。「これでよし」と言ってくれる内なるシグナルだ。だから内なるシグナルに匹敵するか、さらに上回るような確実性の感覚が得られるなら、彼らは直感を断念して予測精度の高いアルゴリズムを採用する気になるだろう。だが、内なるシグナルのご褒美を諦めてまでアルゴリズムを採用しても、予測精度が人間よりたいして高くないのであれば、払う代償が大きすぎると感じられてしまう。
客観的無知について話そう
「予測のあるところ無知あり。それも、思った以上に多く。われわれが頼っている専門家たちがダーツ投げをするチンパンジーよりましなのかどうか、チェックしたほうがいい」
「何か決定的な情報を知っているわけでもないのに���自分の勘に頼って満足している。そういう姿勢を、客観的無知の否定と言う」
「モデルの予測精度はつねに人間より上だが、大幅に上回るわけではない。人間の判断の精度がひどく低い場合、モデルはだいたいにおいてそれよりいくらかましという程度だ。だとしても、精度がいいに越したことはない」
「この種の決定を下すときにモデルを使うのを渋るのは、自分で判断して”内なるシグナル”を感じたいからだ。だったら、モデルを使わずに済むよう、われわれの意思決定プロセスを改善しなければならない」
第12章 正常の谷
統計的思考と因果論的思考
本章では、統計的思考と因果論的思考を対比させた。後者は遭遇した出来事を即座に正常か異常分類してのけ、思考の労力を大幅に省いてくれる。異常だとなって初めて、状況と記憶の両方から必要情報を探すという労力が動員される。静観して続報を待つにしても、忍耐という努力が必要だ。対照的に正常の谷に収まる出来事には、ほとんど頭を使う必要がない。道ですれ違ったお隣さんが愛想よくにっこりしても、上の空で会釈しただけでも、どちらもよくあることなのであなたはたいして注意を払わない。お隣さんが満面の笑顔で何か言いたそうだったり、むっつ不機嫌にあなたを無視したりしたとき、あなたは検索モードに入り、記憶の中から原因を探す。因果論的思考は、異常な出来事を察知する警戒は怠らないものの、無用の努力は避けるのである。
対照的に、統計的思考は相当な努力を必要とする。まず、注意力という貴重なリソースを動員しなければならない。これは、システム2にしかできないことである。「ファスト&スロー」で述べたように、システム2は熟考、意思的な努力、秩序を要する遅い思考を司る。統計的思考をするには、ごく初歩的なものを除けば専門的な訓練が必要だ。まず集合を見て、個々のケースは大きなカテゴリーに属す例だと考える。たとえばジョーンズ一家の立ち退きを一連の出来事の結果とはみなさない。ジョーンズ家と同じ予測的特徴を備えた大量のケースをあらかじめ分析したうえで、統計的に起こりうる(または起こりそうもない)結果だとみなす。
理解の限界について話そう
「相関係数が0.20(PC=五六%)は、人間に関する事柄ではごく標準的な数字だ」
「相関関係は因果関係を意味しないが、因果関係は相関関係を意味する」
「大方の出来事は、予想してはいないが、起きても驚きはしない。こうした出来事には説明は不要だ」
「正常の谷に収まる出来事は、とりたてて予想はしていないにもかかわらず実際に起きても驚き はしない。なぜ起きたのか、すぐに説明がつく」
「どうしてこういうことになったのかわかったつもりでいるが、だからといって、こうなると予想できただろうか」
第13章 ヒューリスティクス、バイアス、ノイズ
判断にかかっているバイアスは、多くの場合、真の値を参照することによって突き止められる。エラーがおおむね一方向に偏っている場合には、バイアスが存在する。たとえばプロジェクトチームが完了までの日数を見積もるケースでは、見積もりの平均が実際に要する日数を大幅に下回ることが多い。このおなじみの心理的バイアスを「計画の錯誤(planning fallacy)」と言う。
ヒューリスティクス、バイアス、ノイズについて話そう
「心理的バイアスはたしかにどこにでもある。だからといって、何でもかんでも漠然とバイアスのせいにすることは厳に慎まねばならない」
「熟考を要する質問をかんたんな質問で置き換えれば、エラーが起きるに決まっている。たとえば確率を判断すべきときに類似性で置き換えたら、基準率を無視することになる」
「結論バイアスがかかっていると、自分が最初に抱いた印象とつじつまが合うように証拠の解釈を歪めることになりやすい」
「第一印象というものはすぐに形成されてしまう。そうなるとそれにこだわり、対立する情報をあとから入手しても軽視しがちだ。こうした傾向を過剰な一貫性と言うらしい」
「心理的バイアスは、多くの人に同じバイアスがかかっている場合には統計的バイアスを生む。ウス、バイアス、ノイズだがそれぞれにちがう方向にバイアスがかかっていれば、システムノイズを生むことになる」
第14章 レベル合わせ
統計学的に言えばまったくばかげた予測に行き着くという事実にもかかわらず、与えられた情報をレベル合わせに使う誘惑に抵抗するのはむずかしい。セールスマネジャーは往々にして、営業成績が去年抜群によかった部下は今年もそうなると予想する。人事担当役員が輝かしいキャリアを積んできた採用候補者に出会うと、ゆくゆくは社長になるだろうと期待する。映画プロデューサーは、前作が大ヒットした監督は次もヒットを飛ばすだろうとそろばんを弾く。
こうしたレベル合わせ予測の例は、だいたいにおいて失望に終わる。一方、与えられた情報があまりにネガティブな場合には、レベル合わせで予測すると実際以上に悲観的になりやすい。与えられた情報に基づいてレベルを合わせる直感的予測は、情報がポジティブであれば過度に楽観的に、ネガティブであれば過度に悲観的になりがちだ(この種の予測エラーを専門的には「非回「帰的」と表現する。なぜなら、「平均への回帰」という統計的現象を無視しているからだ)。
レベル合わせについて話そう
「二人ともこの映画がすごくよかったという点ではたしかに一致した。だがあなたは私ほど感動していないように見える。使った形容詞は同じでも、使っている尺度がちがうのだろう」
「このテレビドラマシリーズはシーズン1がすばらしかったので、シーズン2もヒットすると思った。つまりレベル合わせ予測をして、みごとに外したわけだ」
「論文を採点するときに一貫性を保つのはむずかしい。順位をつけるほうがいいと思う」
第15章 尺度
尺度について話そう
「われわれの判断には大量のノイズがある。これは、各自の尺度の理解がちがうせいだろう」 「最初のケースがアンカーになって、ちょうど尺度上の基準点のように作用することを忘れないように」
「ノイズを減らしたければ、順位の判断に切り替えるほうがいい」
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バイアスについての名著『ファスト・アンド・スロー』の内容の繰り返しにならないかを懸念してたのですが、杞憂どころか、ノイズという全く新しい視点で書かれた目から鱗の内容でした。統計学的な中央値のずれがバイアスなのに対し、標準偏差の大きさがノイズです。
経営判断や司法判断などの一度きりの判断は、繰り返しや結果の検証がされないために、信じられないほどのバラツキを持っていることが認識されていません。本書はその衝撃の事実をデータで示してくれむす。さらに、判断者ごと、判断ケースごと、または偶然性によるもの、などの要素にノイズを分解して、ノイズ全体がその要素の二乗和になっていることが説明されます。
バイアスを減らす重要性が広く認識されてきた中で、本書はノイズという新たな課題を突きつけます。下巻でその方法論がどの様に語られるか、楽しみです。
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前著「ファストアンドスロー」が人間のバイアスについて書かれた本であったのに対して、本著は「ノイズ」(=標準偏差。ばらつき)について書かれた本。
同じ人間でも、判断する気分・時間・外部要因によって答えを変えてしまう。それに対応するためにはどうすればよいのか?