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5章くらいまではどこかで読んだ話が多かった。6章に入って、西田幾多郎、今西錦司が登場する。さらには山内得立のレンマ、これは以前、中沢新一で読んで、わけが分からなくなっていた話。うーん、話が難しくなりそう。まあしかし、山でもあり、里でもある。あるいは、山ではなく里でもない。それを里山と呼ぶ。この里山や里海というような考え方が大切だということで納得しておこう。そして7章。コモンということばこそ登場しなかったと思うが、ほとんど斎藤幸平を読んでいる気分であった。まあ、同時進行で「マルクス解体」を読み始めているので、もうこの手の考え方になじんでしまった。最後に古着の例などもあげられているが、今後は所有にこだわる必要がなくなって来るのかもしれない。養老先生の参勤交代ではないが、どこかに定住するという発想がなくなり、いくつかのコミュニティを行き来するようになるのかもしれない。そうすると、荷物は少ない方が良い。本なんてかさばるばかりで、手元に置いておきたいなんて思う必要はないのだろう。でもなあ、退職後のいつか、自分の持っている本をきれいに並べ直してみたい。それを誰かに見てもらって、読みたい人がいれば貸し出す、あるいはほしい人には安価で売る。そんなことを夢見たりしている。レコードやCDの山も同じ。所有欲がそんなにある方ではないと思うが、でもどうしても「もったいない」という思いがあって、昔買ったもう着ることのない服などもクローゼットに残っている。大量消費の時代に安くで買ったものはすぐに捨てたりできるから、これは高くついたという思いが「もったいない」を発動するようだ。電化製品は新しくて機能が多いものほどこわれやすい気がする。あたかも、商品が売れない時代に、早く回転するようにとわざとこわれやすく作っているかのようだ。そして、家。自分の実家は売ってしまった。妻の実家も、今後10年くらいの間にどうするかを考えなければいけなくなる。避暑地というほどではないが、別荘として、年に数ヶ月をそちらで過ごすということも考えたりする。しかし、人が住まないと家は早くいたむようだし、うーん、どうしたもんだろう。と、本書を読み終わって、所有や定住についていろいろと考えている。それと、ボランティアについても。
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これは物凄い本である。ユヴァル・ノア・ハラリは7万年前にホモ・サピエンスが言葉を獲得した「認知革命」が種の飛躍的拡大の最初の第一歩であると言っている。しかしこの言葉の登場の前に「音楽」があり、社交するリズムがあった。
人類がチンパンジーから分岐し、ジャングルから直立2足歩行で草原に立った700万年前の類人猿の脳の容量は500cc程度でゴリラ・チンパンジー並であった。この当時の群はやはりゴリラ・チンパンジー並の10人から20人であった。
200万年前頃から、人類の脳は大きくなり始めた。この原因は「共感革命」という音楽やリズムによってより多くの人たちと共感できる能力を身につけた事によるというのだ。この共感革命を経ると、人類は出アフリカによってユーラシアやジャワ島などに広がっていくことになるのだ。
言葉を獲得した7万年前以降、人類の脳の容量は増えておらず、3万年前まで生存していたネアンデルタール人の方が脳の容量が多かった。つまり言葉の獲得により記憶を外部に保存できるようになると、脳の容量の増加はストップしているのである。
つまり、人類にとって決定的に重要な変化は、認知革命の前に「共感革命」があったということである。
とても腑に落ちる、素晴らしい見解である。
ただ、今後の人類の未来については、どうも抽象の世界なので、「人新生の資本論」的な曖昧さになってしまうのはやむを得ないところであり、この本の価値を減ずるものではないだろう。
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共感が人類の原点。動く自由。集まる自由。対話する自由という3つの自由を上手くつなぎながら小規模な集団をつなぎ、より良い未来を作ろう。勉強になった。
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ゴリラの研究で有名な山極先生の著書。人類が生物として、過酷な競争に打ち勝ち、文明を築いたのは「共感」がベースになっていた。しかし今、その共感(狭い共感)が、戦争や格差を生み出し、人類を滅ぼそうとしているという主張。後半は、どこかで間違えてしまった選択を振り返り、反省し、修正しなければならないが、メタバースやChatGPTは、その反省を阻害する技術だという主張。同じ類人猿の事例を引き合いにしながらの解説はとてもわかりやすい。共感の使い方を間違えないようにするということは、身近な場(家庭、会社、地域やコミュニティ)でもとても重要だと認識。
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類人猿研究の知見を基にした、現代社会/人類への提言。ただ著者の主張が私には読み取りづらかった・・・。
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組織や社会について「何が」、「なぜ」必要かを人類史から学ぶ1冊。
社会的所属を喪失していない人は、必ず何らかの共同体に属している。それは、例えば仕事やサークル、コミュニティーやボランティアなど。
それらの持続可能性を高めたり、例えば収益性を高めたりするのに、さまざまな組織開発や人材開発、組織づくりなどの手法が世の中には溢れている。
例えば、焚き火をすることや、会議をする際にチェックインをする、人材のラダーを作成し給与配分を決めるなど。これは、人類が共同体を始め、農耕社会に移行した際の変化を見ていくと大きな気づきがある。
それと同時に、共同体の当事者としてのヒントにも溢れている。
改めて本書を読んで重要に思う3つの問い
①共感と言葉や社会との関係性は?
②狩猟採集社会から農耕社会に成り変わったことは?
③これからの共同体に必要な役割や機能は?
①共感は小さなコミュニティーでとても重要で感性のコミュニケーション。一方で、言葉はそのコミュニティーを超えて伝わる手段。いずれも、コミュニケーションの手段であり、それぞれのコミュニティーや場面に適したコミュニケーションが重要で、上手くいかない時はもう一方が不足しているかもしれない。特に、言葉の獲得以降、感じるよりも考える特性が高まってきているので、伝わらない時は考え過ぎていないかを振り返るのが大切。
医療現場ではもちろん、経営や組織づくりについても同じことが言えます。�”人間は言葉の獲得によって、感じる動物から考える動物に変わった。”
②農耕時代は、人が定住を始めた時期ととても近い。また、言葉が獲得された後でもあり、言葉をもとに農耕の技術が拡散、継承されていった。それによって、その土地の生産量が高まり、土地に価値が生まれ所有により格差が生まれていった。また、食糧が増えることで人口も増え、狩猟採集社会にはない役割も増えていった。
③徒歩圏内で育児や食、四季の彩りや祭事、家族の成長や変化を、楽しみ、喜び、時には悲しみを分かち合い、支え合うような共同体的暮らしを営んでいきたいです。
また、仕事とするとオンライン化が進み、本書にあるように遊動しながら新たなコミュニティーが生まれてくると思います。
ただ、いずれも拡大し続けるのはリスクでもあり、ダンバー数にあるような数が一つの参考になると思います。
いずれにせよ広すぎず、固定化せずリアルの感性を大切に。
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誰しも幼少期に集団で遊ぶことで個人ごとに習得する共感力。昨今の戦争やSNS被害などは、もともと小さい集団で人間が生きていくために必要であった能力の乱用と言える。協力、共感、共創、人間が人間として生きていくのは必要な理由はなぜか、その解説。
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最近仕事をしていて思うことがある。それは、仕事に追われ自分のことしか見えていない人が、多い。
仕事は、お金を稼ぐためのものなのでそれでいいんだと思う人がいても良いと思う。けれども、一人でできる仕事には限りはある。一緒に仕事をしてるのであれば、皆で一緒に考えて一緒に成長していくほうがいいのでは?と思っており、その原因は共感する力が衰えているのでと思いこの本を読みました。
内容は、人類学的な視点とゴリラ等の生物学的な視点の2つの視点で共感について描かれています。
人類学のところは、専門語が多くまた同じ文章の引用が多く少し読みにくい文章でした。
しかし、私が悩んでいる会社組織の共感する力の衰えている原因が、分かってスッキリしました。
共感とは、相手の気持ちがわかることです。
この共感の上位互換として同情が存在します。
この同情とは、共感したうえで進んで自分から助けることが相手のためになるとわかったうえで行動をすることです。
この同情は、相手と自分の間に知識や能力の差があることを理解ができないと生まれない感情である。
この同情の更なるの上位互換が、視線共有である。
視線共有は、一人ではなく、皆で助けようという気持ちが湧いてきて、誰かがある方向を指差したとき、その方向にみんなが目を向け、その時に何が起こっているかを瞬間的に共有できることである。
まずは、共感を増やすことから始めることでグループの結束は深まっていくので、共感にアンテナをはって仕事に取り組みゆくゆくは視線共有できるような人になりたいと思いました。
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著者は、7万年前に言語を獲得して認知革命が起きる前に、共感革命があったと推測している。そして、定住生活と文明の発達によって暴力が増していったと語る。
二足で立つと、上半身と下半身が別々に動くので、ぐるぐる回ってダンスを踊れるようになる。また、胸が圧力から解放されて、咽頭が下がり、さまざまな声を出せるようになる。言葉を獲得する以前の意味を持たない音楽的な声と、音楽的な踊れる体への変化によって、共鳴する身体ができる。この身体の共鳴こそが人間の共感力の始まりで、そこから音楽的な声は子守歌となり、やがて言葉へと変化する。人間はそうやって共感力を高めながら、社会の規模を拡大していったのではないか。
言葉は世界を集団の外と内に切り分けた。集団の仲間を思いやるが故に、集団の外に敵を作っていく。農耕牧畜によって定住が必要となり、土地にしがみつくようになると、自分たちの共同体が努力して得た利益を守ろうとし、外の人たちを敵視するようになる。共同体が生き延びるために使われ、発達もしてきた共感力が、方向性を変えて敵意となって外に向けられるようになった。
ホセ・マリア・ゴメスたちの哺乳類の系統樹分析では、種内暴力による死亡率は、全哺乳類では0.3%、霊長類の共通祖先では2.3%、類人猿の共通祖先では1.8%しかない。霊長類が哺乳類に比べて数倍高い理由は、霊長類が集団で縄張りを構えて敵対する傾向が強いからと考えられている。人類も旧石器時代までは2%で安定しているが、新石器時代、特に3000年前以降の鉄器時代に入ると、15~30%と急上昇する。
京都大学と日立製作所が共同で開設した「日立未来課題探索共同研究部門」は、少子化や環境破壊など149個の社会要因についての因果関係モデルを構築し、2052年までの2万通りの未来シナリオを予測した。その結果、シナリオは都市集中型と地方分散型に大きく二分されたが、地方分散型シナリオの方が持続可能な発展をすることが判明した。望ましい社会を実現するには、労働生産性から資源生産性への転換を促す環境課税、地域経済を促す再生エネルギーの活性化、まちづくりのための地域公共交通機関の充実、地域コミュニティを支える文化や倫理の伝承、住民・地域社会の資産形成を促す社会保障などの政策が有効であるとしている。
AIの活用により、持続可能な日本の未来に向けた政策を提言
https://social-innovation.hitachi/ja-jp/case_studies/hitachi_kyodai_labo/
今西自然学を起点に棲み分けと多様性を論じた第6章は興味深かった。
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世界で名高い霊長類研究家の山極先生からみた生物としての人間が書かれていて興味深かったです。
ゴリラやチンパンジー、オランウータンと人間の違いについて。
共感→同情→コンパッション
共感ー相手に共鳴し、相手の気持ちがわかること
同情ー進んで自分から助けることが相手のためになることを理解すること
コンパッションー1人ではなく、みんなで助けようという気持ちが湧いてくること
共感はサルでもできるそうだから同情、コンパッションは人間でしかできないそうです。
その人間にとってすばらしい能力が今とても弱くっているのを私も感じます。
みんなが他者対してとても関心が薄くなっている、個々の世界にとても閉じていっているように強く働いてスタッフに感じます。
自分が良ければよい、相手のことは興味がありません。自分の邪魔にならなければどうぞおかまいなく。
というふうに。
情報が溢れているけれどそれを取捨選択しすぎて結局自分の気持ちのいい世界で浸っている状態なのでしょう。
それを打破するには?
山極先生は共感力を育てるにはとにかく移動することだと。
地域や国や血縁などを越えて多くの人を触れ合うことでもっとボーダーレスなつながりをもっていくことの大切さを問うているのではないかと思いました。