今回も面白かった。
2024/12/31 05:38
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投稿者:S910 - この投稿者のレビュー一覧を見る
滅亡を防ぐために聖女召喚を成し遂げたマルティナ達。
しかし現れた聖女は聖女らしい力を持っていたが、想像したような神のような存在ではなく、異界で過ごしていた普通の少女で、そんな人をこちらの都合で拉致してしまったことに罪悪感を抱く。
彼女の希望で帰還魔方陣の研究をしながら、瘴気溜まりの消滅に動いてもらう二巻目。
一巻の時に懸念してた問題が早速描かれていて良かったわ。
とはいえ、滅亡の危機なんだから一般人の拉致だとわかっていても決行されてしまうのは仕方ないことではあるよね。
ハルカが常識的な良い子で救われた感じ。
各国がそれぞれの思惑で聖女を利用しようとしたりもしたけど、その思惑も無事に潰したし、次回からは本国で帰還魔方陣や還元石と浄化石の研究をするマルティナと、各国を旅して瘴気を潰していくハルカに別れるのかな。
しかし、こんな状況で勝手に他国の人が動いているんだから、自国に招いている他国の要人に監視くらいつけておけばいいのにね。
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ほう、初めて読んだ、異世界召喚をして後悔する主人公。面白い。召喚される側はさんざん読んだが…。
あいも変わらず、息をするように本を読みたがるのは変わらないのだが、召喚された聖女が同じ業の持ち主とは。とはいえ、ハルカさんチート過ぎな上に好戦的過ぎて、ひく。
そして、全体的にエピソードと本筋が結びつかない部分が増えて来たけど、伏線になるのかな?それとも、ハリポタのように、キャラを立てて緊張感を和ませるためだけに、無理矢理詰め込んだ?他国の方々の思惑は、実際の地球の歴史にもありそうでワクワクするが。
3巻の刊行も決まったようで、楽しみ。
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待望の第二巻!
図書館でも読みたい人がとても多いみたいで、アツイ人気を感じさせてくれます。
Q.で、感想は?
A.シルヴァンに萌えました
________では短すぎる!
と、前回同様のオチを踏まえまして、以下に綴らせていただきます。
※
以下、ネタバレを含みます。
感想、と申しますよりも個人的雑記となります。
時間の許す方のみ、お付き合い願います。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
世界はあるままでよいと信じる人々
救いを与えてくれる者に感謝する人々
このあたりの線引きは難しいところですよね。
キリスト教世界になる前の、多神教的価値観・・・縄文・シュメール・ギリシャの世界観では、残酷な淘汰も含めて、受け入れて、逞しく生き抜いていく、あるがままで良いと願い、畏れ、感謝し、自然とともに暮らしていた時代がありました。その意味では、リネ教の考えは間違っていないと思いますが、むしろリネ教の恐ろしいところは、あるがままで良いと言いながら、実際は一神教と同じ価値観であるということです。あるがままを認めるのなら、あらゆる存在が混ざり合うカオスを、無秩序を、混沌を、認めなくてはなりません。文化はあれど、文明ではない。文明の便利さを感受しておきながら、一神教の秩序を押し付けつつ、しかし口先では多様性を謳う・・・なんだか、令和現在の、SDGsや多様性を謳いながら、実際は環境破壊や意味のない搾取を繰り返す人たちに似ていますね。歴史は繰り返されることを思うと、マルティナさんが生きるこの世界での出来事が、どうにも他人事にはとても思えない気がしております。
日本の伝統、文化、料理を学んでくれる経緯
このあたりも、異世界の出来事ではあっても、文化的な交流を感じてくれてとても嬉しくなりました。
『大和言葉はシュメール語で解説できる!縄文土器からわかること』/著:桂樹祐 を読んでおりますと、私たちが異国だと思っている国々には、実は、同じご先祖さんであったり、同化して永く暮らしている人たちが大勢いたことが分かります。つまり、異世界とは申しますものの、化学万歳の令和現在の私たちにはそう見えるというだけで、かつてはあった、中世程度の時代価値観に準えて見れば、十分、同じような感性が通用するのであろうと思えてきます。
しかも、マルティナさんの暮らす国は、もともと多神教です。先述の通り、シュメール、ギリシャ、縄文は非常に感性が似ていたことを鑑みますと、「日本語を使えるようになる」というだけで、同じような感性にグッと近づいてくるというのは、手にとるように分かるのです。おそらく、扱う言語がその人の脳組織を作り出すという後天的な作用も関わっているのでしょう。
世界の中心は日本だ!!___なんて、そうして世界のはけんをめぐって延々��戦争してきたことを思えば、仕方のない考え方ではありますが、それでも、不思議なもので、そうなのかもしれないなぁ・・・と思わせるほどには、日本語の包み込む見事な表現力というものには、唸らされることが多いです。異世界の人々にもそのような面白さを楽しみながら生きていただけたら、これ以上なく幸いなことです。
物語は、たとえ辛い内容であっても、読み終えた後に心地の良い癒しを与えてくれる
ここは興味深い話でした。
私の場合は、寝る前の絵本、髪を乾かしながら読む本、出かけ先で読む本、勉強として読む本、ただの娯楽として読む本、人に知識を分かち合う目的で読む本、政治・道徳的教養として読む本___など、目的さまざまに読んでおりますが、一貫して言えますことは、眠る前には、体が緩むような、ゆるい内容の本を読みたいと考えることです。よく、難しい本は寝落ちできるからいいという意見を聞きますが、私の場合は真逆で、理解しようと興奮してしまうため、むしろ目が冴えてしまうのです。苦笑
なので、内容を問わず、ページをめくり、本を読むというだけで、落ち着けるというのは、なんとも不思議な感覚だなぁと思いました。そして、そんな感覚になれるのなら、今の私よりももっと読書が楽しいでしょうから、それはそれは素敵なことだなぁと感動したものでございます。
休めと言うよりも、好きなことをさせてあげる方が、責任感が強い人にとっては、素直に休めること
(ラフォレさんがマルティナさんに、職務ではなく、娯楽として本を読ませた場面はとても印象的でした)
この場面もすごくグッときました。
研究一筋・・・つまり、左脳で、理性でものを考えることに価値を置く人は、大まかにたとえるなら、他人との共感よりも自分の追求を大事とし、ささやかな憩いだとか、その人なりの生き方だとか、軽んじてしまいがちなものです。
そんな生き方をしていたはずのラフォレさんが、マルティナさんを気遣って、彼女が進んで休みを取れるように、本を読ませてあげる場面は・・・なんだか、大した場面ではないはずなのに、感動して泣いてしまったほど、すごく、大好きなのです。
右脳の感性、左脳の理性。
両方をなるべく等しく使って、
自分にも他人にも、
優しく生きられたなぁいいなぁとぼんやり願っています。
乗馬は心地よいこと
ここも素敵だなぁと思いました。
稲作によって人口が増えた中国大陸。
森を守り、穏やかに暮らしていた日本列島。
縄文時代から弥生時代に変わっていく変遷としては、飢えで子どもが斃れることなく、たくさん食べさせてあげられることが、単純に嬉しかったということもありますが、それ以上に、隣の大国が、自分たちとは違う方法で生き、人口を増やすということは、やがてそれらが襲ってきたとき、自分たちに生き残る手立てはないという危機感から、森の資源だけを頼りに生きていくよりも、森を切り倒し、田畑に水を引き、自然を侵してでも、人口を増やし、軍事力の均等を保たなくてはならないという___極めて切実かつ、世知辛い理由が、大変に強い影響を持っていたと考えられます。※小名木善行氏 等の著作参照
つまり、お隣さんがやるから、仕方ねぇか・・・だったのです。
これは、近代以降も変わりません。
工場と電気の登場で、昼と夜の負担が半分になり、
私たちは、果てして、楽になりましたでしょうか。
答えを私たちは知っています。
いいえ、そうはなりませんでした。
つまり、倍の効率で半分休めではなく、
倍働けるのだから、倍働け__となったのです。
そして現代に入っても、それは変わりません。
高速道路、新幹線、飛行機が登場し、
私たちの移動時間は短縮され、その分、
果たして私たちの暮らしは楽になりましたでしょうか。
その答えを私たちは知っています。
いいえ、ましてもそうはなりませんでした。
倍の速さで動けるから、数日休め、ではなく、
倍の速さで、倍の距離を移動しろ__となったのです。
それも全て、よその国はもっと儲けているから、うちだけはサボれない、なのです。なぜなら経済とは軍備であり、人口であり、武力であるからです。
しょーもない、切実で、世知辛いお話なのです。
さて、前置きがとても長くなりました。
言いたいことの要点は、出来ることの生産性や合理性にこだわるのではなく、物事や目的に辿り着くための、過程や景色を楽しむ情緒というのが、本当は一番大切なのではないかということです。
先述に記しました通り、教養、道徳、政治的利用価値として読む本は、私にもございます。ですが、私が尊敬する本居宣長さんは、そうした、価値があるから本が読まれるのではなく、宇多が歌われるのではなく、ただ歌いたいから、ただ書き記したいからそこにあるのだとおっしゃいました。※『本居宣長』/著:先崎彰容 参照 同時に、本居先生が参考にしていた紫式部さんは、架空の物語だからこそ、距離を置いて、身に役立つ知恵を学ぶことが出来るともおっしゃいました。どちらも真実、どちらも大切なことです。せっかく読み学ぶのですから、役立つものを得たいと考えるのも自然なことですし、これまた先述に記しました通り、ただページをめくり、読むだけで、声に出して歌うだけで、幸せな気持ちになれるのなら、それも素敵なことだと思えますから。
なので、馬というのは、まさに素晴らしいなぁと思います。
共に生きる、命ある生き物であることはもちろん、彼らの餌となる草木にも感謝を覚えますし、馬の速度でしか移動できないのですから、宿に泊まって思い出話を交わしたり、観光を楽しんだりも出来ます。また彼らの糞尿が堆肥となり、私たちの食べる美味しいご飯になって、命を救われていることにも、思いを馳せずにはいられないでしょう。
そうしたことを、近代世界にも似た、異世界の描写でさりげなく見せてくれているのは、素晴らしいことだなぁと感じられました。
自分で全てをこなせるようになるよりも、こなせる人の助けを受けられる努力をする方が、向いている人がいるということ
(乗馬や料理を早々に諦め、それらの才能がある人が、質問を求めてきたときに答えられるよう、本を読もうと決意するマルティナさんの様子等。
レシピ��実践するよりも、他のレシピと比較する方が楽しい、根っからの本の虫であるマルティナさんが微笑ましい)
このあたりもすごく共感しました。
私自身、こうして書評を記しておりますのは、少しでも皆さんと知識を共有して、生きる楽しみにしたいという個人的な欲求はもちろんのこと、そもそも、本の内容を読み比べることが単純に面白いからでもあるのです。私自身が何かの著者になるよりも、こうして書評を読み比べることが、自分の書いたものはもちろん、他の人と読み比べた時も、とても楽しいものに思えるのです。
聖女として適正がある者としてハルカさんが選ばれたとはいえ、彼女がこの物語で見せるさまざまな場面が、『日本人だからこそ』なものが多いのは、令和の時代を象徴しているかのよう。祈りと祓いは、まさに天皇陛下の御業ですから。
一神教と多神教の分岐点
救済と信仰を個人に求めるから一神教になる
ならば星々の一つに過ぎないと
人々の祈りを自然へと向かわせるだけでいい
聖女教は星女教となる
このあたりも、一番初めに書きました通りです。
実在のキリスト教も、来世での幸福を願って、今生の奉仕に勤める人々に、病に斃れた人たちは、その姿を見ていたく感動したことがきっかけでした。実際、その奉仕に勤めた人たちは立派であり、間違いなく尊い人たちであったと思われます。けれども、その際、これらの教えは政治的に利用できると考えたものがいたのかもしれません。あるいは、そう仕向けた・・・いっそ、宇宙人がいたとしても、不思議はないのでしょう。UAP公聴会が、大の大人たちが税金を使って真面目に議論されるようになった時点で、地球外技術の存在というのは、どんどん身近なものとして明らかにされていくかもしれませんから。※アメリカ議会の本当の出来事です。詳しくは、UAP公聴会で検索してみてください。
信仰する神を顕す儀式は
異形の命を生み出す猟奇に書き換えられていた
身内の悪戯か 壮大な悪意か 別の宗教か
原因も真相も闇の中だが
気の遠くなるほど長い時間の中で
本来の信仰は歪められてしまったのだろう
このあたりも、まさに上記の通り、
本来の教えとは違ったものに書き換えることで、利用できると考えた人がいても不思議はないのです。
なんといっても、私たちは本当のキリスト教を確かめることはもう不可能だからです。ペテロをはじめとした、それらを語り伝えた人の言葉を、そのまた他の人記したものを読んでいるに過ぎないからです。
それさえも、長い時間をかけて教会権力によって支配されていましたし、元々のものとは書き換えられいる可能性の方が高いです。
満月の象徴は藤原の印
世界を統べる強欲と信じられてきた望月の詩は
縁を結び、争いを避けられた宴を喜びの詩として
近年になってその読み方を改められてきた
世界を救う力と世界を壊す力は同じもの
その使い方も受け取り方も
扱う人次第
聖女が乗る車の装いが、満月の印とされていたあたりも、和歌の解釈が改められた、現代衝撃の発見に準えて、奇妙な感動を覚えたものでした。※『和歌からはじまる大人の教養』/著:ピーター・J・マクミラン 参照
世界は平和であればいい
誰もがそう望んでいるというのは誤った前提
世界を壊すことが
天に近い存在(子どもたち)を◯ろすことが
唯一神への信仰の証となると
本気で信じているカルトは実在する
ゆえに救済の力を独占するためではなく
それそのものを破壊したい勢力は実在する
これも、ユダヤ人と名乗っているものの、実際は、ユダヤ本流である、セムスファラディではない、アシュケナージ__もとい、ハザールマフィアの人々が、今でも悪魔偶像崇拝を本気で信じ、また彼らに与する金融エリートたちが、神に近い子供を虐待することで、偶像への信仰の証を立てるという恐るべき事実を象徴しているように思えました。
悪魔偶像崇拝なんて、宗教戦争が終わった現代にそんな陰謀論だよ!と思われる方も多かろうことでしょう。ですが、宗教戦争も、カルトも、全く失われてなどいないのです。なんといっても、現在、絶えることのない紛争などは、全て、ネオコン(主にCIA)とそれに連なる者たちのお小遣い稼ぎのために行われいているからです。
そんなおかしなもののために、大勢の人たちが悲しむことのないよう、平和を祈ります。
ひぐらしウッディ事件以降、多くのオタクの皆さんが謂れのない偏見を受けて苦しみ続けているように、ユダヤ人のこともまた、正しく理解され、迫害されることなどないように願います。アシュケナージの人々も、今はイスラエルに止まり、戦いを望んでなどいないのですから。
あるいは、前述のように、地球人が助け合う絆を破壊することそのものを快楽として楽しむような、本当に、悪魔のような宇宙人がいるのかもしれません。そんなとんでもな可能性すら、ありえないとはせず、考えの一つとしてとどめておきたくなるほどには、人類は、あまりにも長く互いを殺しすぎました。
___世界が平和でありますように。
本を読んでもらいたくて勧めているのに
要約が上手すぎることが災いし
あなたの話を聞くだけでいいと
肝心の本を読んでくれない人が増える矛盾
その葛藤を理解出来るからこそ
時間をかけて読む方が身になると
勧めてくれた人の気持ちに寄り添う姿
ロランさんとマルティナさんの様子に胸キュン
このあたりもすごく分かります。笑
私も、人に語り伝えるときは、なるべく本の内容を1分以内に要約するのですが、それをしてしまうと、読まずに満足してしまう人が多いのです。笑
ええ、推しを読んで欲しいのにー!というもどかしさ。しかし知ってもらえないことにはそもそも始まらないという葛藤。うーーーん。分かりみが深い・・・笑
そして、3巻の刊行も決まっていること
おめでとうございます!
心の底から、楽しみにお待ちしております。
大変、長くなりました。
ここまで私の散文に付き合ってくださった、あなたに
深い感謝を___ありがとうございます。
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面白かった。
読んだもの見たもの、全て一瞬で記憶する。
Aiが人間になったメモリ(無限)で
さらに思考力まであるっちゅう、現代のchatG**の
神互換みたいな少女が主人公の第二巻。
ついに、普通の異世界ラノベ的に召喚聖女が出てくる。
が、その召喚者が古宮バベルの雫を思い出さされるキャラ。
が、しかし、チート系無双聖女。
ゆうて、主人公が取って代わられることなく、
ちゃんとマルティナが主人公で、ブレないのが良い。
次巻も読む。
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聖女召喚の成功後の物語・・・
待望の第二巻が発行されていたので読みました。
物語自体は前回同様に引き込まれる内容で読みやすいのがいいです。
今回も色々な国の思惑が交差して色々な事件があり、謎がどんどん解明したり
世界観が広がっていく巻でした。
ラストのシーンはなかなかファンタジー感があってワクワクしました。
本好きには何かしら共感して読める物語ではないでしょうか。
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聖女召喚により柚鳥春花が召喚される。マルティナは帰還の魔法陣の研究を始める。
ハルカはまずはラクサリア王国での浄化の旅へ。
魔物が発生する瘴気、巨大な宝石と魔法陣。還元石と浄化石。リネ教徒による妨害。
聖女教と星女教。